生まれ育った町でライブ(柳原商店街冬祭り)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
7月13日に中京テレビのキャッチで放映されたChot BAR 馬車道。
町の陽だまりというコーナーで馬車道マスターとママの想いという事で紹介されました。
なんと放送中から電話をいただいたり、予約をいただいたりでテレビ効果に驚きました。
馬車道のFacebookページやテレビに映られたお客様のFacebookにもたくさんの反応がありました。
そのおかげで、昨夜も早いうちからお客様に来ていただきバタバタとしていた時。
入り口の扉の向こうから、手を振る女性に気が付いて固まった。
22歳の時から24年間にわたってお世話になった『Jazz THE CAT』のママだった。
昨日、何気なくテレビを見ていたら、CATのTシャツが映って僕だと気づき、連絡をしないで来てくれたのです。
13年前、馬車道をやろうと思った時の夏。
マスターに相談したら、ちょうどCATを辞めようと思うから、このままこの店を使ってやればって云われたけれど、マスターとママの2人でやってた店舗では僕一人でやるには広いからお断りした。
CATの音響から3,000枚を越えるレコードも含め何もかも使えばいいよって言われたけれど・・・・
もったいない話だったけれど、栄の錦3丁目でやるなんて僕には出来ると思えなかったから。
なんにせよ、学生だった僕が社会人になるまで自宅よりも滞在時間が長いくらいいた場所だったから、お二人は僕の大きな支えだった。
あれから13年、何度か電話で会話をしたこともあったけれど、会う事はないままでいたお二人に来ていただけたことに感激した。
とっても嬉しかった。
そして昨日は企画、プロデュース、撮影をしていただいた田中さんがお客様として来て下さった。
みんなが演奏していたけれど、数人のお客様から、放送されたビデオが見たいと云われてみんなで鑑賞。
みんなじっと見てくれた。
そして終わった時、みんながスタンディングオベーション。
凄い拍手の波が起こったのです。
田中さん、ビックリしてた。
田中さんにとっては最高の出来事になったんじゃないかな?
事前に話し合っていたわけでもない事だったから、僕も驚いたんだもの。
こんな小さなChot BAR馬車道だけれど、こうして可愛がっていただける皆様に心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
先日、東京千駄ヶ谷の白谷さんから写真集『70' HARAJYUKU』が届きました。
1970年代の原宿を撮った写真集です。
きっかけは、白谷氏が馬車道のブログの中にある『78年東京・原宿(懐かしの街)』の写真を見つけられ、メッセージをいただいた事。
白石氏の写真家仲間で作られたこの写真集
じつはPENNY LANE と セントラルアパートの写真が無かったそうなのです。
当時仲間たちと過ごしたこの場所の写真が見つかったことにとても感動していただいたとの事。
だから今までも4回くらいTV局から写真使用の依頼が来ました。
まだ学生時代の僕が撮ったものですがお役に立てて嬉しいで
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
今日の紙兎ロペはお盆にちなんで『走馬灯』。
気になるところシリーズは
今一飯店の左の看板 ??スナック 千鳥足
その手前ののぼり ラーメン増量中
画面右の駐車場 1時間200円 2時間無料?
ビルの上のホテルの看板 なにが書いてあるのか不明だけど気になる。
そしてもう一画面は今一飯店の拡大したもの。
右から
望月寝具店 猛反発まくらのポスター
ライス無料 ののぼり
電信柱 質 渋珍 (セコそう)
店頭の看板 Karashi からしビール
祝 初孫誕生! 餃子無料
こんな感じかな?
今一ってアキラ先輩がいうには、今一番じゃなくて、今ひとつって方のイマイチなんですね。
思えば40年位前までは、喫茶店のランチとか、ひなびたレストランなんかに入ったりすると、『何じゃこれ?』って味の料理が出ていましたよね。
出張で知らないところへ行った時には結構すごい味付けにびっくりして、お腹が空いているのにほとんど残して店を出るなんて事もありました。
今では全国チェーン店があるから、そこに入ればはずれは無いという安心感がありがたく感じたりもします。
冷凍食品とコーヒーチェーンの商品開発が進んで変な料理が出なくなったものね。
本当にびっくりするような味の料理はなくなった。
ってかインスタント料理も美味しくなったものね。
手作り料理という面で見たらちょっとザンネンな気もしますが。
思えば、名古屋でピザというものを僕が初めて食べたのは、伏見の名宝会館の1階に出来たジロー。
まだ高校1年だったかなぁ。
注文してから45分待ちってのが定説だった。
その後に、栄の北にカリーナというイタリアンレストランが出来て、チキン・オニオン・ピーマンかカニ・オニオン・ピーマンにはまってた。
そこにはパーティー用の特大ピザがあって、オーダーすると金枠の台が置かれる。
50-60cmくらいあったかなぁ。
12枚くらいにカットされていて、姉と彼女が2枚ずつ食べて、僕が1/2の6枚。
中型のピザが2枚食べれたのに見た目の大きさに圧倒されたのが残り2枚が食べれなかった事を今でも覚えています。
その後、シェーキーズとかピザのお店がめちゃめちゃ増えてきた。
そうそう、喫茶店にチーズトーストが出来たのもその頃ですよね。(小倉トーストはもっとずーと前にありましたが)
その後ちょっとしてからピザトーストも出てきた。
まぁ、名古屋の喫茶店は来客があったら応接間のかわりって感じで使われるくらい流行っていましたよね。
その後、大学生になってから八事雲雀ケ丘と石川橋の間に『コメダコーヒー』のでかい店が開店した。
いろいろあった時期ですね。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
昨日、名古屋観光ホテルで行われた『富士通フォーラム2013』に行ってきました。
18階のセミナー会場に行ってなにか不思議な感じがしてた。
そうだ、姪っ子の結婚式の披露宴ってこの部屋だった。
何だかあの時の事を思い出して嬉しかったなぁ。
展示会場に行ったら、3年前、とあるプロジェクトで一緒に頑張った酒井田君がトータルセキュリティソリューョンの説明員をしていてお互いに『あぁっ』って。
とても優秀な方であの当時、本当に助けてもらったから嬉しかった。
今は東京で頑張っているとの事でした。
他にも高村さん、池辺ちゃんにも会えた。
ちなみに流通ソリューションの『サーバ管理型電子マネーサービス』のコーナーではFIPの後輩が説明をしてくれました。
今回、他に楽しませてくれたのは『指で直感的に操作できる次世代ユーザーインターフェース技術』と『Pastel Plus RFIDソリューション』でした。
頑張れ富士通グループ
会場を出てから久しぶりに来た伏見界隈を散歩。
思えば予備校も伏見だったし、20歳の頃にバイトした『馬車屋(カボシャ)』もここだった。
馬車屋に入る前に、4時くらいから食事を兼ねてこの界隈で飲んでたなぁ。
確か愛知県青年会館のところにあったステーキのあさくま。
ここのあさくまは静かだったから学生ステーキとかトリオを頼んでハーフのワインを飲むのが好きだった。
大甚はつまみと日本酒2合。
樽酒だからあの木の香りが好きで通っていました。
ってことで昨日は久しぶりに大甚に入ってみました。
やっぱり懐かしいなぁ。
当時はまだ20歳の童顔だったからおじさん達にからかわれてたのを思い出しながら呑ませていただきました。
帰りにお勘定をお願いしたら、兄さまが来て、『馬車道さん?うちのお客さん達といつか行こうって言っていたんですが場所がわからなくて・・・』って云われて名刺をお渡しました。
なにか宣伝に来たみたいで申し訳なかったです。
そして大甚の裏にもいろいろな思い出深いお店がちゃんとありました。
鳥屋さん、うなぎ屋さん、そして英吉利西屋。
昔はよく行ったなぁ。
車道にばかりいないでまた伏見にも行こうっと。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
馬車道には拓郎ファンのお客様と日本酒ファンのお客様がおみえになります。
日本酒ファンにもいろいろな方がおみえになる以上、好みもいろいろなんですがそこは馬車道。
店主の一方的な思いでお酒を選ばせていただいております。
とはいえ、旨い酒に出会うと僕の節操なんてのはあっさり無くなってしまいます。
って事で今回は『松の寿』を仕入れに行ってまいりました。
そう、今回は『鯱の家』です。
待望のカレーうどんをいただいてきました。(670円)
やっぱり美味しいなぁ。
日野歯科と向かいのお家。
あえてこれ以上申しません。
そして、古城交差点を通るときにふと、思いつき立ち寄りました。
写真奥の『とんかつ いわた』と『出光』、『はんこ屋』さんがポイント。
それとよく食事に行っていた『りんどう』もちゃんとありました。
何だか嬉しかったなぁ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
吉田拓郎展の時に偶然知り合った東京のプロデューサーのH氏が雨の中、馬車道にT氏と来てくださった。
その会社は名古屋にも事務所があることもあって、時々馬車道に来ていただいているお客様。
いつものように話がはずんだ。
彼との話題はとても楽しい。
そんな時、先日の名古屋の事務所のT氏が来た時に頂いた『八一の夏』(友野康治著)の事をお礼を含めて話し出す。
そうそう、故郷の呉に戻って同級生と呑む場面でスナックのママとマスターの事が書いてあるけれど、読んだ時に僕が行ってたお店を思い浮かべてたんですよ。
って言ったらH氏がちょっと黙り込んだ。
・
・
・
・
H氏:「そこって入ったらカウンターがこんな感じであって奥にテーブル席があるんだけれどガラスで仕切られている感じ??」
僕:「そうそう、ママが阿木燿子さんに似ていて・・・」
H氏:「口の上にホクロがあった?」
僕:「うんうん・・・」
H氏:「僕が呉に帰ると行くお店なんだけれど「すう」って名前の店じゃない?」
僕:「そうかな? そう言えばSUって文字にボーがついてたような気がする」
http://
(このページにはママとマスターの写真が載ってましたので借用させていただきました。)
不思議だね。こんな事あるんだね。
H氏はこの店の事を著者に話したら本に書かれたとの事。
名古屋の僕と呉のH氏との本当に不思議な共通点がまた一つ増えました。
もともとH氏との出会いもとっても不思議だったしね。
https://bashamichi.way-nifty.com/1/2009/12/post-9ff9.html
でも残念な事にママは丁度1年前にガンで亡くなられたとの事。
H氏は奥に置いてあるGibsonで歌を歌いだした。悲しかったんだね。
そしたらふっと名刺の箱を1つだけ持って来てた事を思い出して見て見たら一枚の名刺が出てきた。
歌い終わったH氏に見せるとまさにその店だった。
亡くなられたママの御冥福をお祈りいたします。
***************************************************
p.s.
今、SUに連れてっ行っていただいた中野さんに電話しました。
もう6年ぶりの電話でしたが、相変わらずとっても元気な声でお話を聞いてくださいました。
当時は三和ストアの専務さん。
今は退任され森沢ホテルに勤めてみえるとの事でした。
SUのマスターは今もお店をやってみえるそうで出勤の時にはホテルの前を通るを見るとお互いに声をかけられてるそうです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント