映画 トノバン 『音楽家加藤和彦とその時代』を観て
1965年、大学生だった加藤和彦が、雑誌「MEN'S CLUB」の読書欄でメンバーを募集をしたことがきっかけで北山修らと結成された「ザ・フォーク・クルセダーズ」。
1967年 製作費23万円でアルバム『ハレンチ』を自主制作 その中に入っていた『帰って来たヨッパライ』が話題となる。
同年、ラジオ関西のプロデューサー高橋美津子が突然与えられた昼の枠で流した『帰って来たヨッパライ』 瞬く間に話題となってリクエストが殺到。
時を同じくして始まった深夜ラジオ『オールナイトニッポン』の齋藤安弘ことアンコーが放送中に『帰って来たヨッパライ』を何度もかけた。
当時はテレビではグルーブサウンズ全盛期。
しかしながら学生達が聴くようになっていた深夜放送の世界ではこれをきっかけにフォーク・ロックへと流れが変わってきた。
1971年 グループ・サウンズ・ブームは衰退。
1971年 つのだ☆ひろ、後藤次利、松任谷正隆、高中正義との出会い
吉田拓郎 アルバム 『人間なんて』 プロデュース
1972年 泉谷しげる 春夏秋冬 プロデュース
1973年 日本に本格的音響設備が無い事から、収入となった印税からイギリスのWEM PAシステムを購入し、PA会社「ギンガム」を設立。
それによりボーカルアンプのスピーカーの世界から大音量のステージを実現。
これらはトノバンがやってきた事の初期のほんの1部。
海外進出、レコーディング、一流品を愛した彼には、車ではロールスロイス(当時で960万円)、料理では三國清三、門上武司、佐々木浩、服など身につけるもの使うもの全てのこだわりがあった。
この映像を観ると彼の生きた感性と作り続けられた世界が嵐のように降りかぶるってくる。
是非、ご覧いただきたい。
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