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2013年9月16日 (月)

僕の社会人になってからの恩師

僕が大学を卒業して入ったのは、とある事務文房具の卸会社だった。
一緒に入った新卒生、男5人。
3人が文具の営業課、1人が総務課、そして僕は機械課へ。

はじめは長崎屋の電算部を退職した10歳くらい上の人と一緒に行動し、CBC裏の専門学校や事務機屋さんを回っていた。
その後、レジスターとタイプライターのインストラクターをしていたら、パソコン、ワープロもするようになった。

そんな時に当時の松下電器にいた水野SE(元気くん)と出会うことになる。
出会った当時の彼は元気いっぱいの男で浜田省吾大好き人間だった。

82年、そんな彼が松下のC-18というパーソナルコンピュータを支援担当になって僕に簡易言語というEPOCALC を紹介してくれたときに僕ははまった。
当時はBASICという言語がPCのメイン言語で、一般の人にはなかなか使いこなすのが難しいものだった。
それがEPOCALC(今のEXCEL)では表計算が簡単に出来るという代物だった。

初めて売ったのは西尾市の小田井鉄工労働組合様。
何度も足を運んでようやく決まったときには本当に嬉しかったなぁ。

その後、EPOBIND EPOACE(今でいうACCESS)が発表され、その商品のすばらしさ感動して、ファンクションキーが目をつぶっても操作が出来るようになるまで覚えた。

これを武器に僕は車にPCを乗せてデモをしては売りまくった。(まるでバナナの叩き売りみたいなデモだったけど)
なんだか不思議なくらい売れまくった。
本当に恐ろしいくらいよく売れた。
僕が行けば絶対決まった。
気がついたら、松下の中部管轄で3位の成績だった。
あの若さで表彰のパーティでは乾杯の音頭をさせてもらった。

当時、彼にいろいろ教えてもらっていた時に、今でも焼きついている言葉。
『マニュアルを読んでから人に聞けよ
あれから何かあるとマニュアルで調べるクセがついた。

2年で退職したけれど、その後に入った会社で、入社3日目に、ホストコンピュータとPCのデータ利用についての問い合わせがあった時、たまたま分かるSEがいなくて僕が対応することになった。
F9450ⅡでAPCSのFCONVで変換するところはマニュアルで確認しておいて、当日ホストから8インチフロッピーでIBMフォーマットのデータを用意してもらい、データ変換とEPOBINDでのデータ加工するデモをした結果、大手予備校のPC全国展開を決めることが出来た。(今ではなんでもない事なんだけれどね。)

先日、ネットで知り合うことが出来た元気君は今でも頑張っていた。
本当にありがとう。
君のおかげで今の僕があります。

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