一枚の名刺
吉田拓郎展の時に偶然知り合った東京のプロデューサーのH氏が雨の中、馬車道にT氏と来てくださった。
その会社は名古屋にも事務所があることもあって、時々馬車道に来ていただいているお客様。 いつものように話がはずんだ。
彼との話題はとても楽しい。
そんな時、先日の名古屋の事務所のT氏が来た時に頂いた『八一の夏』(友野康治著)の事をお礼を含めて話し出す。
そうそう、故郷の呉に戻って同級生と呑む場面でスナックのママとマスターの事が書いてあるけれど、読んだ時に僕が行ってたお店を思い浮かべてたんですよ。
って言ったらH氏がちょっと黙り込んだ。
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H氏:「そこって入ったらカウンターがこんな感じであって奥にテーブル席があるんだけれどガラスで仕切られている感じ??」 僕:「そうそう、ママが阿木燿子さんに似ていて・・・」
H氏:「口の上にホクロがあった?」
僕:「うんうん・・・」
H氏:「僕が呉に帰ると行くお店なんだけれど「すう」って名前の店じゃない?」
僕:「そうかな? そう言えばSUって文字にボーがついてたような気がする」
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(このページにはママとマスターの写真が載ってましたので借用させていただきました。)
不思議だね。こんな事あるんだね。
H氏はこの店の事を著者に話したら本に書かれたとの事。
名古屋の僕と呉のH氏との本当に不思議な共通点がまた一つ増えました。
もともとH氏との出会いもとっても不思議だったしね。
https://bashamichi.way-nifty.com/1/2009/12/post-9ff9.html
でも残念な事にママは丁度1年前にガンで亡くなられたとの事。
H氏は奥に置いてあるGibsonで歌を歌いだした。悲しかったんだね。 そしたらふっと名刺の箱を1つだけ持って来てた事を思い出して見て見たら一枚の名刺が出てきた。
歌い終わったH氏に見せるとまさにその店だった。
亡くなられたママの御冥福をお祈りいたします。
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p.s.
今、SUに連れてっ行っていただいた中野さんに電話しました。
もう6年ぶりの電話でしたが、相変わらずとっても元気な声でお話を聞いてくださいました。
当時は三和ストアの専務さん。
今は退任され森沢ホテルに勤めてみえるとの事でした。
SUのマスターは今もお店をやってみえるそうで出勤の時にはホテルの前を通るを見るとお互いに声をかけられてるそうです。
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