ふと思ったのですが、40歳くらいから物忘れが激しいなんて事をよく言ったりしてますが、僕もご他聞に漏れずそんな感じでして加えて記憶力も低下しているように思う今日この頃。
物覚えが悪くなると物忘れのしようがない!!なんて開き直ったりしてても駄目ですよね。
考えてみるとサラリーマンになってパソコンを売るようになったのが1981年のFM-8からかなぁ
初めて買ったのはFM11-EX(1982年)でなんとFPDを1機内臓して漢字ROMまであった。松下のmy-brain3000のデザインがかっこよくてOSもDOS2.1を載せていたから迷ったんだけどね。姉妹機でFM-7のキャラクターにタモリさんが起用されていた。
その年、EPSONのハンドヘルドターミナルHC-20が出て、オプションの皮製っぽいビニールケース(これが持ちやすくて最高だった)を片手に仕事に出てた。今ではノートブックって言いますがあの当時はこの機械が初めてで、手で持って行けるのは画期的でした。でもマイクロカセットテープとインクジェットプリンタが内臓されていたんだよね。
あの当時、おもしろかったのはFM11にはBS(CPM86)とAD2(OS9)があったのですが、OSがいくつも対応しているのが渋かった。
裏の世界ではFM-11BS/AD2っていうのがあってCPM80(CPM80カード要) CPM86 OS9 MS-DOS3.1が使えたんだよね。販売されていないだけに知られてないけど・・・
そうそう松下のJR-100なんてのを売らなきゃいけなくなって千代田橋のユニーの1階入り口で売り子をさせられたのは参りました。でも買った人がいたのが不思議??あとカシオのFP-1100/FP-3000とかも売っていたなぁ
もう25年も前の話だけど懐かしいものです。
その頃、別にビジネス用パソコンってのが出てきて富士通9450(PFU C-18 松下C-180)シリーズってのが凄くてのめり込んでしまい、EPOCシリーズを覚えた。いまで言うEXCEL WORD ACCESSの前進ですかね。IBM5550 IF800 と対抗してましたがホストコンピュータのダム端としての考え方があったから作りがとても良かったのを覚えています。
そんな時代からパソコンに携わっていて87年くらいからパソコン通信も始めたのに僕自身はどんどん退化してるのかなぁ。やれやれです。
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